第2回 地震が歴史を動かす
自然の怖さと恵みが顕著な日本
私たちの国は、幸か不幸か、4つのプレートがせめぎ合う場所の上に位置しているため、沢山の地震が発生しています。
プレート活動は、火山をも形成し、噴火災害ももたらします。
アジアモンスーン地帯に立地しているわが国は、台風などの風水害にも見舞われます。
火山噴火や付加体でできた地盤は脆く、土砂災害も頻繁に起きています。
まさしく自然災害の百貨店のような国です。
一方で、地震や火山は、風光明媚な景色や温泉などの自然の恵みを私たちに与えてくれてもいます。
私たちの先祖たちは、こういった自然の怖さと恵みの中で自然と折り合いを付けながら生きる術を培ってきました。
ちなみに付加体というのは、海洋プレートの上に堆積したゴミ(海洋生物の死骸や陸から運ばれた土砂)が、プレートの沈み込みでひっかき出されて積み重なったものです。 ここからは石灰岩が豊富に取れます。
この石灰岩を使って作っているのが鉄筋コンクリートの建物です。
強い地震の揺れによって建物が壊れれば、再びゴミとなって土の中に戻っていきます。
面白い輪廻ですが、私たちの国は海のゴミでできた島の上に、ゴミでできた材料で建物を作っているというユニークな国です。
自然災害の多い私たちの国では、災害による大きなダメージが、歴史の変化のきっかけにもなっているようです。
表に、安土桃山時代から戦後にかけての日本の歴史と、関東以西で発生した主要な地震の年表とを一緒に記してみました。
地震はある時期に集中して発生し、その時に歴史が動いているように感じられます。
伊豆半島を挟んで、関東地震は相模トラフを、東海・東南海・南海地震は駿河トラフ~南海トラフを縄張りとして、過去から繰り返し巨大地震を発生してきました。
江戸時代まで長いあいだ都のあった西日本では、100~150年に一度くらいの間隔で、東海・東南海・南海地震が、バラバラで起きたり同時に起きたりしてきました。
江戸以降だけでも、1605年慶長の地震、1707年宝永の地震、1854年安政の地震、1944年・46年の昭和の地震の4つがあります。
一方、相模トラフでの地震は、1703年元禄の地震と1923年大正の地震の2つです。
これらの巨大地震の前後には内陸の活断層での地震も頻発するようです。
歴史的事件と地震① 安土桃山時代から江戸時代まで
ところで、皆さんは、地震計のない時代の南海トラフでの地震をどのように認定しているかご存じですか?
地震学者たちは、古文書の中から古い地震を見つけています。
古文書は京都に多く残っているため、歴史地震は西日本の方が沢山見つかっています。
古文書の中に、①京都で強い揺れがあった、②道後温泉が枯れた、③津波があった、④高知などで地殻変動があった、などの記述があると南海トラフでの地震と認定しているようです。
古文書が十分に無い時代については、遺跡調査から見つかる液状化跡などから地震の発生時期が推定されています。
慶長と宝永の地震では東海・東南海・南海の3地震が連動して発生したようです。
慶長地震は揺れの被害は殆ど無く津波地震と言われています。
一方、安政地震では東海・東南海(合わせて安政東海地震と呼ぶ)と南海が32時間の時間差で2回に別れて起こり、昭和地震では東南海と南海のみが発生し2年の間をおきました。
1605年慶長地震の前後には、1586年に伊勢から飛騨を襲った天正地震(2つの地震が発生したとの説もあります)が、1596年に伏見城を倒壊させた慶長伏見地震が発生しました。
この時代の歴史を紐解くと、1582年に本能寺の変が起こり、1585年に秀吉が関白になって豊臣政権を樹立、1592年と1597年に朝鮮出兵の文禄の役と慶長の役が起き、1603年に家康が征夷大将軍になって江戸幕府を樹立、そして1614~15年の大坂冬の陣、夏の陣へと続いています。
まさに、安土桃山から江戸への時代の激動期に重なります。
1707年宝永地震(10月28日に発生)の前後には、4年前に1703年元禄関東地震が、49日後に富士の大噴火がありました。
ちなみに、内陸での最大の地震、濃尾地震も1891年10月28日に発生していますので、海と陸の過去最大の地震が同じ日に起きたことになります。
元禄関東地震が起きたときは、1688年に始まった元禄文化のまっただ中で、徳川綱吉が政治を司っていました。
赤穂浪士の討ち入りは1703年1月(旧暦では1702年12月15日)、柳沢吉保が大老になったのが1706年、正徳の治が行われ生類憐れみの令が廃止されたのが1709年、徳川吉宗が現れて享保の改革を成し遂げたのが1716年です。
吉宗は宝永の地震の直前1705年に紀州藩主になっていますので、宝永地震では被災地紀州の災害対応をしたはずだと思います。
1854年12月23日・24日の安政地震の直前には、1847年5月8日善光寺地震、1853年3月11日嘉永小田原地震、1854年7月9日伊賀上野地震が発生し、南海地震の2日後26日には伊予西部での地震、翌年に1855年11月11日安政江戸地震、さらに1858年4月9日に飛越地震が発生しました。
この時期には、1853年7月にペリーが浦賀沖に来航し、翌年1854年3月31日には日米和親条約が締結されました。
安政東海地震の際には、プチャーチン率いるロシア使節団が乗艦するディアナ号が下田に停泊中で、津波で破損、その後、曳航中に沈没しました。
伊豆の戸田村の人たちが、「ヘダ号」と名付けた船を築造してプチャーチンらをロシアに帰しました。
安政江戸地震での水戸屋敷の被災が、尊王攘夷派から開国派への流れを作ったとも言われ、その後、1858年の10月から11月にかけての安政の大獄、そして、1860年桜田門外の変、1867年大政奉還と続き、1868年に明治を迎えることになりました。
歴史的事件と地震② 明治時代から戦後まで
昭和の東南海地震・南海地震の前後にも、多くの地震が発生しました。
1923年関東地震に始まる25年間はまさに激動でした。
1900年代初頭は、1904~05年日露戦争、1914~18年第一次世界大戦、1920年国際連盟加盟を経て、護憲運動が盛んな大正デモクラシーの時代で、1925年には普通選挙法が制定されます。
この最中に発生したのが、1923年関東地震(M7.9)です。
死者・行方不明者10万5千余人、経済被害は日本銀行の推計で45.7億円に上ったと言います。
これは、当時の国家予算の3倍に当たります。
余りに甚大な被害のため、1週間後の9月7日にはモラトリアムと治安維持に関する緊急勅令が出され、さらに9月29日には震災手形が出されました。
震災手形はその後不良債権化し、1927年に金融恐慌を招きます。
さらに、治安維持法が普通選挙法の成立直後の1925年4月に作られ、国家権力が強化されていきます。
ラジオ放送が始まったのは、同年6月です。
関東地震の際には流言飛語がデマを呼び朝鮮人虐殺などの悲しい事件の遠因になったと思われ、これに対する反省もあったようです。
ラジオ放送開始直前の1925年5月23日に北但馬地震(M6.8)が兵庫県北部を襲い、1927年3月7日に北丹後地震(M7.3)が京都北部を襲いました。
金融恐慌が発生したのは北丹後地震の翌週3月15日です。1929年には世界恐慌が始まり、我が国は暗い時代に突入し、軍部の発言力が強まっていきました。
その後、1929年5月22日日向灘地震(M6.9)、1930年11月26日北伊豆地震(M7.2)、1931年9月18日満州事変、1931年9月21 日西埼玉地震(M6.9)、1931年11月2日日向灘地震(M7.1)、1932年5.15事件、1933年3月3日三陸地震津波(M8.1)、1933年3月27日国際連盟脱退、1936年2.26事件、1936年11月3日宮城県沖地震(M7.4)、1937年7月7日盧溝橋事件に始まる日中戦争、1938年4月1日国家総動員法、1941年11月19日日向灘地震(M7.2)と続き、1941年12月8日に真珠湾攻撃、そして太平洋戦争が始まりました。
当初は戦勝ムードに沸きましたが、1942年6月5日ミッドウェイ海戦に破れ、劣勢となります。
その後、1943年9月10日に鳥取地震(M7.3)が発生、翌1944年には、7月にサイパン、8月にグアムが陥落し、10月にはレイテ沖の海戦で歴史的大敗を喫しました。
南方の島々を得た米軍は、本土を直接空爆できるようになり、11月24日には70機のB29爆撃機が東京を空襲しました。
これを受けて、軍需産業が集中する名古屋では、太平洋戦争開戦記念日の12月8日に空襲があるという情報が流されました。
しかし、その前日12月7日お昼過ぎに、空襲ではなく東南海地震(M7.9)が発生しました。
東南海地震では、中島飛行機半田製作所や三菱重工業名古屋航空機製作所道徳工場が壊滅的被害を受け、軍用機の生産が難しくなりました。
すでにこの時期、地震計による観測が始まっていて、米国の新聞は、すぐに「日本で大地震」という記事を報じましたが、わが国では徹底的な情報統制のため、震災の様子が国民に伝えられることはありませんでした。
名古屋への空襲が始まったのは、地震の翌週、12月13日からでした。
B-29爆撃機90機が三菱発動機大幸工場を襲いました。
当日には、東洋一の動物園と呼ばれた東山動物園の猛獣類が、治安維持を理由に多数射殺されてもいます。
そして、一ヶ月後の翌年1月13日には、三河地震(M6.8)が発生しました。
さらに、広島原爆投下(8月6日)の翌8月7日に、東洋一の武器工場と言われた豊川海軍工廠が空襲を受け約3,000人が犠牲になりました。
そして、翌週15日に敗戦を迎えます。
さらに、翌1946年12月21日には南海地震(M8.0)が、1948年6月28日には福井地震(M7.0)が続発しました。
南海地震では、直後に高知市が水没しています(高知大学岡村研究室:http://sc1.cc.kochi-u.ac.jp/~mako-ok/nankai/higai/higai.html)。
また、福井は、地震の前後に、1945年7月19日に福井大空襲で焼け、さらに福井地震で緩んだ九頭竜川左岸堤防が翌月7月24日の豪雨で決壊しています。
短い期間に3度も壊滅的な被害を受けその度に復興を遂げてきたことで、福井市は「不死鳥の町」を合言葉にしています。
その後わが国は1950年に勃発した朝鮮戦争以降、高度成長を遂げ、現在の豊かな国へと変貌を遂げてきました。
これらは学校で習う日本史では触れられていませんが、歴史的出来事と被害地震が交錯して発生していることが分かります。
将来、誰かが、1995年以降の地震の続発について同様な年表を作ることでしょう。
世界第二の経済力を有するわが国が国家予算規模の被害を受ければ、大きく歴史が変化するように感じます。
地震を回避することはできませんが、人智を尽くせば地震被害は幾らでも減らせます。
その中心的役割を果たすのが建築構造技術者です。
そのことを忘れないで日々過ごしていたいと思います。
さて、次回は、「地名に見る地盤の診断」と題して、先祖が地名に残してくれた災害危険度情報について紹介する予定です。
過去500年の関東以西のM7クラス以上の地震発生と主な歴史的事件
歴史的な事件
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関東以西の主な地震
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元号
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マグニチュード
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1582/6/21
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本能寺の変
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1586/1/18
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天正
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7.8
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畿内・東海・東山・北陸諸道
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1587/1/29
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秀吉が太政大臣になる
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1592/5
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秀吉が朝鮮出兵(文禄の役)
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1596/9/1
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慶長
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7
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豊後
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1596/9/5
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慶長
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7H
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畿内
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1597/1
|
秀吉が再び朝鮮に出兵(慶長の役)
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1600/10/21
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関ヶ原の戦い
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1603/3/24
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徳川家康が、江戸幕府を開く
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1605/2/3
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慶長
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7.9&7.9
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『慶長地震』
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1614
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大坂冬の陣
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1615
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大坂夏の陣
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1633/3/1
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寛永
|
7
|
相模・駿河・伊豆
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1637
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島原の乱
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1648/6/13
|
慶安
|
7
|
相模・江戸
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1649/7/30
|
慶安
|
7
|
武蔵・下野
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1651
|
慶安の変(由井正雪)
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1662/6/16
|
寛文
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7Q~7.6
|
山城・大和~駿河・三河・信濃
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1680
|
綱吉が5代将軍
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1686/1/4
|
貞享
|
7~7.4
|
安芸・伊予
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1687
|
生類憐れみの令。 元禄文化がさかん
|
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1703/1/30
|
赤穂浪士があだ討ちをする
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1703/12/31
|
元禄
|
7.9~8.2
|
『元禄地震』
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1707/10/28
|
宝永
|
8.4
|
『宝永地震』
|
1709
|
新井白石の改革(正徳の治)
|
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1715/2/2
|
正徳
|
6.5~7
|
大垣・名古屋・福井
|
1716
|
吉宗が8代将軍 → 享保の改革
|
|
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1718/8/22
|
享保
|
7
|
信濃・三河
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1732
|
享保の大飢饉
|
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1751/5/21
|
宝暦
|
7~7.4
|
越後・越中
|
1779
|
田沼時代
|
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1782/8/23
|
天明
|
7
|
相模・武蔵・甲斐
|
1783
|
天明の太飢饉
|
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1787
|
松平定信が老中筆頭 → 寛政の改革
|
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1789/5/11
|
寛政
|
7
|
阿波
|
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1802/11/18
|
享和
|
6.5~7
|
畿内・名古屋
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1819/8/2
|
文政
|
7Q
|
伊勢・美濃・近江
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1825
|
外国船打払い令
|
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1833
|
天保の大飢饉
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1837
|
大塩平八郎の乱
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1839
|
蛮社の獄 (渡辺崋山・高野長英)
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1841
|
天保の改革
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1847/5/8
|
弘化
|
7.4
|
『善光寺地震』
|
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1853/3/11
|
嘉永
|
6.7
|
小田原付近
|
1853/7/8
|
アメリカの使節ペリーが来航
|
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1854/3/31
|
日米和親条約(神奈川条約)
|
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1854/7/9
|
安政
|
7Q
|
伊賀・伊勢・大和
|
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1854/12/23
|
安政
|
8.4
|
『安政東海地震』
|
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1854/12/24
|
安政
|
8.4
|
『安政南海地震』
|
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1854/12/26
|
安政
|
7.3~7.5
|
伊予西部・豊後
|
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1855/11/11
|
安政
|
6.9
|
『江戸地震』
|
1856
|
アメリカ総領事ハリスが下田に着任
|
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|
吉田松陰が松下村塾
|
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1857/10/12
|
安政
|
7Q
|
伊予・安芸
|
1858
|
井伊直弼が大老
|
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|
|
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1858/4/9
|
安政
|
7.0~7.1
|
飛騨・越中・加賀
|
1859
|
安政の大獄(吉田松陰・橋本左内)
|
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|
1867/11/9
|
大政奉還
|
|
|
|
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1889
|
大日本帝国憲法公布
|
|
|
|
|
|
東海道線が開通
|
|
|
|
|
1890
|
第1回衆議院議員選挙
|
|
|
|
|
|
|
1891/10/28
|
明治
|
8
|
『濃尾地震』
|
|
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1894/6/20
|
明治
|
7
|
東京湾北部
|
1894/8/1
|
日清戦争(~1895)
|
|
|
|
|
|
|
1895/1/18
|
明治
|
7.2
|
霞ヶ浦付近
|
|
|
1896/1/9
|
明治
|
7
|
鹿島灘
|
1897
|
八幡製鉄所
|
|
|
|
|
|
|
1899/3/7
|
明治
|
7
|
紀伊半島南東部
|
1900
|
治安警察法
|
|
|
|
|
1902/1/30
|
日英同盟
|
|
|
|
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1904/2/6
|
日露戦争(~1905)
|
|
|
|
|
|
|
1905/6/2
|
明治
|
7Q
|
安芸灘:『芸予地震』
|
|
|
1909/3/13
|
明治
|
6.7&7.5
|
房総沖
|
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|
1909/8/14
|
明治
|
6.8
|
『江濃(姉川)地震』
|
1910/8/22
|
韓国を併合
|
|
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|
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1914/6/28
|
第一次世界大戦
|
|
|
|
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1920
|
国際連盟
|
|
|
|
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1921/11/11
|
ワシントン軍縮会議
|
|
|
|
|
|
|
1921/12/8
|
大正
|
7
|
茨城県南部
|
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1922/4/26
|
大正
|
6.8
|
浦賀水道
|
|
|
1923/9/1
|
大正
|
7.9
|
『関東大地震』
|
1925/3/29
|
普通選挙法
|
|
|
|
|
1925/4/22
|
治安維持法
|
|
|
|
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1925/6/1
|
ラジオ放送
|
|
|
|
|
|
|
1925/5/23
|
大正
|
6.8
|
『北但馬地震』
|
1927/3/15
|
金融恐慌
|
|
|
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|
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1927/3/7
|
昭和
|
7.3
|
『北丹後地震』
|
1929
|
世界恐慌
|
|
|
|
|
1930
|
ロンドン軍縮会議
|
|
|
|
|
|
|
1930/11/26
|
昭和
|
7.3
|
『北伊豆地震』
|
1931/9/18
|
満州事変
|
|
|
|
|
|
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1931/9/21
|
昭和
|
6.9
|
『西埼玉地震』
|
1932/5/15
|
五・一五事件
|
|
|
|
|
|
|
1933/3/3
|
昭和
|
8.1
|
『三陸地震津波』
|
1933/3/27
|
国際連盟を脱退
|
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1936/2/26
|
二・二六事件
|
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1937/7/7
|
盧溝橋事件をきっかけに日中戦争
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|
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1938/1/12
|
昭和
|
6.8
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田辺湾沖
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1938/11/5
|
昭和
|
7.5
|
『福島県東方沖地震』
|
1941/12/8
|
太平洋戦争(~1945)
|
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1943/9/10
|
昭和
|
7.2
|
『鳥取地震』
|
1944
|
B29による本土爆撃が激化
|
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1944/12/7
|
昭和
|
7.9
|
『東南海地震』
|
|
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1945/1/13
|
昭和
|
6.8
|
『三河地震』
|
1945/8/15
|
終戦
|
|
|
|
|
|
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1946/12/21
|
昭和
|
8
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『南海地震』
|
|
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1948/6/28
|
昭和
|
7.1
|
『福井地震』
|
1950/6/25
|
朝鮮戦争
|
|
|
|
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1951/11/18
|
サンフランシスコ平和条約を批准
|
|
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|
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|